縁ということ(3)

(つづき) 最初に、縁とは「たまたま」であるといいました。私は私の意志とは無関係にたまたま生まれたのですから、私のなかには私が作り出した「私のもの」というものは何もありません。したがって執着すべき「私」というものはどこを探しても見つかりませ…

縁ということ(1)

「唯識で読み解くダンマパダ」はちょうど第10詩句までが終わったので、ひと休みして、「縁ということ」と題してブログを書いてみます。 先日勉強部屋を整理しているとき、机の引き出しから、以前に、それも私が四十歳台に書いた抜き刷りがみつかり、読んで…

「唯識で読み解くダンマパダ」(14)〜出家者になりうる資格〜

今回から第9詩句と第10詩句とを読んでいきます。 まず、 訳を記します。 (第9詩句) 汚れを除いていなく、黄褐色の衣をまとおうと欲する人で、 自制と真実とが欠けているならば、その人は黄褐色の衣をまとう資格がない。(第10詩句) しかし、汚れを…

「唯識で読み解くダンマパダ」(13)〜食事において量を知り、勇猛に精進する〜

今回は、第7詩句と第8詩句の前回残したところを読んでいきます。 (第7詩句) 浄らであると見て生活する、感覚器官を抑制しない、 食事において量を知らない、怠けて精進することが少ない、 そのような人を悪魔が征服する。あたかも風が弱い木を吹き倒す…

「唯識で読み解くダンマパダ」(12)〜身体を不浄と見て生活し、感覚器官を抑制する〜

今回から第7詩句と第8詩句とから学んでいきます。 (第7詩句) 浄らであると見て生活する、感覚器官を抑制しない、 食事において量を知らない、怠けて精進することが少ない、 そのような人を悪魔が征服する。あたかも風が弱い木を吹き倒すように。 (第8…

「唯識で読み解くダンマパダ」(11)〜我々は死ななければならない〜

今回から第6詩句を検討しましょう。 まず、訳を記します。 また、他の人々は、「我々は、ここで、死ななければならない」と知らない。 しかし、そのような人々が、そこで、(そのことを)知るならば、それゆえに、争いは鎮まる。 まずは、原文を検討します…

「唯識で読み解くダンマパダ」(10)〜永遠不変の真理とは〜

第5詩句を検討を続けます。 実に、いかなる時でも、怨みを以っては怨みを静めることはできない。 ただ、怨みなき(心)も以って静めることができる。このことは永遠の真理である。 今回は、最後の「永遠の真理」を考えてみます。この中の「永遠 の」にあた…

「唯識で読み解くダンマパダ」(9)〜「怨む心」から「怨みなき心」へ〜

今回から第5詩句を読んでいきます。 (第5詩句) 実に、いかなる時でも、怨みを以っては怨みを静めることはできない。 ただ、怨みなき(心)も以って静めることができる。このことは永遠の真理である。 第3,4詩句で、他人を怨むことによって心が縛られ…

「唯識で読み解くダンマパダ」(8)〜「怨み」について〜

今回から第3詩句と第4詩句の解説に入ります。 まず訳を記します(第3詩句) 私を罵った、私をなぐった、私に勝った、私から奪った、 という、このような思いに縛られる人は、怨みが息むことがない。(第4詩句) 私を罵った、私をなぐった、私に勝った、…

「唯識で読み解くダンマパダ」(7)〜地獄も極楽も今生にある〜

今回は、第1詩句の後半と第2詩句の後半とを解説してみます。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 (…

肌を通して体に染み込む言葉

前のブログで哲学の入門書として、斎藤信治先生の『哲学初歩』を紹介しましたが、今日は、斎藤先生のエピソードを書いてみます。 個人的なことで申し訳ありませんが、私と私の妻とは、別々の大学でしたが、二人とも斎藤先生から哲学を学びました。二人にとっ…

「唯識で読み解くダンマパダ」(6)〜一本のバラを手にして、見るとは何かを追究してみよう〜

第1詩句を読み進めていきましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は、この中の「(すべて…

「唯識で読み解くダンマパダ」(5)〜作すべからざることは行わず、作すべきことを常に行なう〜

前のブログの最後に「悪い暗い思い出に翻弄されて苦しむ人が多くいます。このような人は、どのような生き方をしたらいいのでしょうか。その生き方を『ダンマパダ』の中に探ってみようと思います。」と述べましたが、次の一詩句がその答として適切ではないか…

「唯識で読み解くダンマパダ」(4)〜すべては「因」と「縁」とか生じる〜

(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は、「(すべての現象は)意から作られる、すなわち心から作…

「唯識で読み解くダンマパダ」(3)〜自分が見るのではなく、見せられている〜

『法句経』の解説に戻りましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は「意を主とし、」を、す…

蟻も熱中症になるのでしょうか

前のブログで、「心の中の風を静めるには、吐く息・吸う息になりきり、なりきってみましょう。」と提案しましたが、「息」ということで少し考えてみましょう。 今夏は異常な暑さで各地で熱中症の人が続出しています。そこで私が二、三人の友人に「蟻も熱中症…

「唯識で読み解くダンマパダ」(2)〜吐く息・吸う息になりきってみよう〜

『ダンマパダ』の第1詩句を再記しましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今回は、「心(意)…

「唯識で読み解くダンマパダ」(1)〜すべての現象は心を先とする〜

今回のブログから『ダンマパダ』を唯識思想によって読み解いていこうと思います。題して、 「唯識で読み解くダンマパダ」 です。 『ダンマパダ』のダンマは真理、パダは言葉という意味ですので、『ダンマパダ』とは「真理を述べた言葉」という意味で、漢訳で…

私の年齢は40億74歳である

7月19日と20日との2日間にわたって開かれた岐阜美濃太田の正眼寺の夏期講座(http://www.youtube.com/watch?v=iqrJ8iFc2i8)に参加してきました。19日は清水寺の森清範貫主の、教訓に満ちた法話を拝聴しましたが、一番印象に残ったのは「私の年齢は…

自分とは言葉の響きがあるだけである

7月6日のブログで、 この「一人一宇宙」という事実認識から、「いったい何か」「なぜか」「いかに生きるか」という人生の三大問いかけを解決する旅路に出発しましょう。と提案しましたが、「いったい何か」という問いかけは、まずそのように問いかける「自…

執拗な「自分への執着」

話し手の主の表現は英語はIであり、ドイツ語はIchですが、日本語は数が多い。 たとえば、「わたくし(私)」「わたし(わたくしの省略形)」「おのれ(己)」「おれ(俺)」「じぶん(自分)」などがある。以下、これらの中の「自分」という表現に統一して話…

戦争はいやだ

深層心について考える前に、私が書いた一冊の本を紹介してみます。 それは『戦争はいやだ!!』と題した本です。(田中治郎氏との共著。2006年佼成出版社刊) この本は、第1章「戦争してなにを得るのか」、第2章「なぜ戦争は起こるのか」、第3章「ど…

一人一宇宙のこころの中を観察する

7月5日のブログで、「こころ」とは形式に過ぎないので、「こころ」についての追究は、次に「こころ」の内容の追究に進まなければならない、と述べました。今日はその内容について考察していきましょう。 いま「考察」と言いました。この考察は、考えて察す…

今日は和歌ちゃんの誕生日

7月7日の七夕の今日は、我が家の猫・和歌ちゃんの誕生日です。 今日で九歳になりました。和歌ちゃんはこのブログの「wakanekoの日記」の由来の我が家の可愛い(容姿は可愛くありません)猫です。 まず、2012年10月のブログを再掲載してみます。「wak…

「わたしのこころ」と「あなたのこころ」

お互いに向き合って「わたしのこころ」と「あなたのこころ」と言い合うことができますが、この二つの「こころ」の中で、「わたしのこころ」は、わたしには分かりますが、「あなたのこころ」は、わたしには分かりません。 なぜなら、「わたし」と「あなた」と…

「アルコール類」と「お酒」との違い

突然変な質問をしますが、「アルコール類」と「お酒」とはどのように違うのでしょうか。 この問いを深く考えることによって、私たちは、あらゆる現象的存在は二つの言葉でとらえられることがわかります。その二つの言葉とは、 「形式」と「内容」 です。 先…

私の自分史

久しぶりにブログを書きます。縁あって「私の自分史」を書いてみましたので、それを紹介してみます。お読みいただいて何かコメントをいただければ幸甚です。 私の自分史 〜これまで歩んできた逆転の人生〜 私も気が付いてみたらもう七十三歳になりましたが、…

「一人一宇宙」についてのコメント

私が主宰している「哲学カフェ」(http://www.kouitsu.org/ 「哲学カフェ」の項参照)で「一人一宇宙」(私の10月9日のブログを参照)ということについて何かコメントしてくださいとお願いしたところ、ぼちぼちと感想が寄せられています。いままで集まっ…

言葉によって作られた物語で戦争を犯す

岐阜市にある臨済宗専門道場・瑞龍寺(http://www.zuiryo.com/)の清田保南老師から寺報『瑞龍たより』を送っていただいていますが、 第77号に掲載されている老師の巻頭文を紹介します。 多くのことを学ぶことができる有り難い文章です。 芥川龍之介の作品…

仏教は宗教ではなく哲学である

『月刊私塾界』の12月号(全国私塾情報センター:http://www.shijyukukai.jp/)に掲載された私のインタビューの記事を紹介します。 仏教は宗教ではなく哲学である 今回は仏教と、そのほかの宗教との違いについて考えてみましょう。まず哲学ですが、哲学と…