2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧
今回から第6詩句を検討しましょう。 まず、訳を記します。 また、他の人々は、「我々は、ここで、死ななければならない」と知らない。 しかし、そのような人々が、そこで、(そのことを)知るならば、それゆえに、争いは鎮まる。 まずは、原文を検討します…
第5詩句を検討を続けます。 実に、いかなる時でも、怨みを以っては怨みを静めることはできない。 ただ、怨みなき(心)も以って静めることができる。このことは永遠の真理である。 今回は、最後の「永遠の真理」を考えてみます。この中の「永遠 の」にあた…
今回から第5詩句を読んでいきます。 (第5詩句) 実に、いかなる時でも、怨みを以っては怨みを静めることはできない。 ただ、怨みなき(心)も以って静めることができる。このことは永遠の真理である。 第3,4詩句で、他人を怨むことによって心が縛られ…
今回から第3詩句と第4詩句の解説に入ります。 まず訳を記します(第3詩句) 私を罵った、私をなぐった、私に勝った、私から奪った、 という、このような思いに縛られる人は、怨みが息むことがない。(第4詩句) 私を罵った、私をなぐった、私に勝った、…
今回は、第1詩句の後半と第2詩句の後半とを解説してみます。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 (…
前のブログで哲学の入門書として、斎藤信治先生の『哲学初歩』を紹介しましたが、今日は、斎藤先生のエピソードを書いてみます。 個人的なことで申し訳ありませんが、私と私の妻とは、別々の大学でしたが、二人とも斎藤先生から哲学を学びました。二人にとっ…
第1詩句を読み進めていきましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は、この中の「(すべて…
前のブログの最後に「悪い暗い思い出に翻弄されて苦しむ人が多くいます。このような人は、どのような生き方をしたらいいのでしょうか。その生き方を『ダンマパダ』の中に探ってみようと思います。」と述べましたが、次の一詩句がその答として適切ではないか…
(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は、「(すべての現象は)意から作られる、すなわち心から作…
『法句経』の解説に戻りましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は「意を主とし、」を、す…
前のブログで、「心の中の風を静めるには、吐く息・吸う息になりきり、なりきってみましょう。」と提案しましたが、「息」ということで少し考えてみましょう。 今夏は異常な暑さで各地で熱中症の人が続出しています。そこで私が二、三人の友人に「蟻も熱中症…
『ダンマパダ』の第1詩句を再記しましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今回は、「心(意)…
今回のブログから『ダンマパダ』を唯識思想によって読み解いていこうと思います。題して、 「唯識で読み解くダンマパダ」 です。 『ダンマパダ』のダンマは真理、パダは言葉という意味ですので、『ダンマパダ』とは「真理を述べた言葉」という意味で、漢訳で…