2014-01-01から1年間の記事一覧

「唯識で読み解くダンマパダ」(26)〜奮起し励む〜

今回は第25詩句を読んでいきます。 まず訳を記します。 (第25詩句) 奮起と励みと自制と抑制とによって 聡敏な人は瀑流にも流されない中洲を作るべきである。 この詩句の主語である「聡敏な人」の原語は「メーダーヴィン」で「智慧(メーダー)を有した…

「唯識で読み解くダンマパダ」(25)〜心の中に満月を輝かしつづけてみよう〜

今回は第24詩句を読んでいきます。 まず訳を記します。 (第24詩句) 奮起し、勤勉で、念を具し、行いが浄らかで、慎重に行動し、 また、自からを制御し、法にしたがって生活し、勤め励む人は、称讃が高まる。まず、「念を具し」の念について。 念の原語…

「唯識で読み解くダンマパダ」(24)〜禅定を修して涅槃に触れる〜

(ブログ26) 今回は第23詩句を読んでいきます。 まず訳を記します。 (第23詩句) かれら(賢人たち)は、禅定を修する人で、忍耐つよく、つねに勇敢に修行し、 賢明な人びとであって、無上の安隱なる涅槃に触れる。 この詩句での主語は、前の詩句を…

「唯識で読み解くダンマパダ」(23)〜賢人たちの喜びと楽しみ〜

今回は第22詩句を読んでいきます。 まず訳を記します。(第22詩句) このように相違を知って、励むことを能く知る賢人たちは、 励むことを喜び、聖者たちの境界を楽しむ。この詩句の最初の「このように相違を知って」とは、前の詩句の「励みは不死の境地…

「唯識で読み解くダンマパダ」(22)〜死ぬことがないのだ〜

今回は第21詩句を読んでいきます。 まず訳を記します。(第21詩句) 励みは不死の境地であり、怠けは死の境地である。 励む人々は死ぬことがなく、怠ける人々は死者のごとくである。まず、「励み(はげみ)」と「怠け(なまけ)」について。 人間のタイ…

「唯識で読み解くダンマパダ」(21)〜理論と実践〜

前回のブログで、「理論」と「実践」の二つの関係を問題としましたが、第19詩句の「たとえ、経文を数多くそらんじても、それを実行しないならば、その人は怠けている。」という一文は、「いかに理論を学んでも実践しなければ怠けていることになる」と言い…

「唯識で読み解くダンマパダ」(20)〜実践することの大切さ〜

今回は、第19詩句、第20詩句を読んでいきます。 まず訳を記します。第19詩句 たとえ、経文を数多くそらんじても、それを実行しないならば、その人は怠けている。 それは、牛飼い人が他人の牛を数えているようなものであり、その人は修行者の部類に入ら…

「唯識で読み解くダンマパダ」(19)〜人間として生まれたことは素晴らしいことである〜

今回から第17、18詩句を読んでいきます。 まず、訳を記します。(第17詩句) 悪を行ったものは、今世で後悔し、来世で後悔し、二世において後悔する。 「私は悪を行った」と後悔し、悪趣におちいって、さらに一層後悔する。 (第18詩句) 福を為し得…

「唯識で読み解くダンマパダ」(18)〜悲嘆し苦悩する毎日から歓喜する毎日へ〜

今回から第15、16詩句を読んでいきます。 まず、訳を記します。(第15詩句) 悪を行ったものは、今世で悲嘆し、来世で悲嘆し、二世において悲嘆する。 自分の行為が汚れれているのを見て、彼は悲嘆し、彼は苦悩する。 (第16詩句) 福を為し得たもの…

「唯識で読み解くダンマパダ」(17)〜貪欲の雨が降り込まないよう心を練磨する〜

今回から第13、14詩句を読んでいきます。 まず、訳を記します。(第13詩句) あたかも、雨が、わるく葺かれた家を破り穿つように、 貪欲が、練磨されていない心を破り穿つ。 (第14詩句) あたかも、雨が、よく葺かれた家を破り穿つことがないように…

「唯識で読み解くダンマパダ」(16)〜物事を実の如くに知り、見る〜

第11詩句と第12詩句とを再び記してみます。(第11頌) 真髄でないものを真髄と考え、そして真髄を真髄でないものと見る、 そのような人は真髄に達しなく、誤った考えの境界に住する。 (第12頌) しかし、真髄を真髄として、そして真髄でないものを…

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「唯識で読み解くダンマパダ」(15)〜真髄を見る〜

今回から第11詩句と第12詩句とを読んでいきます。 まず訳を記します。 (第11頌) 真髄でないものを真髄と考え、そして真髄を真髄でないものと見る、 そのような人は真髄に達しなく、誤った考えの境界に住する。 (第12頌) しかし、真髄を真髄とし…

縁ということ(2)

(つづき) 私たちは「自分」というものを設定し、それに執着し、その結果、いろいろと悩み苦しむ日々を送っています。自分だけが苦しむのならまだしもよい。自己と自己ならざるものとを分別し、我他彼此の世界を作り出し、そのなかで他人までをも苦しめてい…

縁ということ(3)

(つづき) 最初に、縁とは「たまたま」であるといいました。私は私の意志とは無関係にたまたま生まれたのですから、私のなかには私が作り出した「私のもの」というものは何もありません。したがって執着すべき「私」というものはどこを探しても見つかりませ…

縁ということ(1)

「唯識で読み解くダンマパダ」はちょうど第10詩句までが終わったので、ひと休みして、「縁ということ」と題してブログを書いてみます。 先日勉強部屋を整理しているとき、机の引き出しから、以前に、それも私が四十歳台に書いた抜き刷りがみつかり、読んで…

「唯識で読み解くダンマパダ」(14)〜出家者になりうる資格〜

今回から第9詩句と第10詩句とを読んでいきます。 まず、 訳を記します。 (第9詩句) 汚れを除いていなく、黄褐色の衣をまとおうと欲する人で、 自制と真実とが欠けているならば、その人は黄褐色の衣をまとう資格がない。(第10詩句) しかし、汚れを…

「唯識で読み解くダンマパダ」(13)〜食事において量を知り、勇猛に精進する〜

今回は、第7詩句と第8詩句の前回残したところを読んでいきます。 (第7詩句) 浄らであると見て生活する、感覚器官を抑制しない、 食事において量を知らない、怠けて精進することが少ない、 そのような人を悪魔が征服する。あたかも風が弱い木を吹き倒す…

「唯識で読み解くダンマパダ」(12)〜身体を不浄と見て生活し、感覚器官を抑制する〜

今回から第7詩句と第8詩句とから学んでいきます。 (第7詩句) 浄らであると見て生活する、感覚器官を抑制しない、 食事において量を知らない、怠けて精進することが少ない、 そのような人を悪魔が征服する。あたかも風が弱い木を吹き倒すように。 (第8…

「唯識で読み解くダンマパダ」(11)〜我々は死ななければならない〜

今回から第6詩句を検討しましょう。 まず、訳を記します。 また、他の人々は、「我々は、ここで、死ななければならない」と知らない。 しかし、そのような人々が、そこで、(そのことを)知るならば、それゆえに、争いは鎮まる。 まずは、原文を検討します…

「唯識で読み解くダンマパダ」(10)〜永遠不変の真理とは〜

第5詩句を検討を続けます。 実に、いかなる時でも、怨みを以っては怨みを静めることはできない。 ただ、怨みなき(心)も以って静めることができる。このことは永遠の真理である。 今回は、最後の「永遠の真理」を考えてみます。この中の「永遠 の」にあた…

「唯識で読み解くダンマパダ」(9)〜「怨む心」から「怨みなき心」へ〜

今回から第5詩句を読んでいきます。 (第5詩句) 実に、いかなる時でも、怨みを以っては怨みを静めることはできない。 ただ、怨みなき(心)も以って静めることができる。このことは永遠の真理である。 第3,4詩句で、他人を怨むことによって心が縛られ…

「唯識で読み解くダンマパダ」(8)〜「怨み」について〜

今回から第3詩句と第4詩句の解説に入ります。 まず訳を記します(第3詩句) 私を罵った、私をなぐった、私に勝った、私から奪った、 という、このような思いに縛られる人は、怨みが息むことがない。(第4詩句) 私を罵った、私をなぐった、私に勝った、…

「唯識で読み解くダンマパダ」(7)〜地獄も極楽も今生にある〜

今回は、第1詩句の後半と第2詩句の後半とを解説してみます。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 (…

肌を通して体に染み込む言葉

前のブログで哲学の入門書として、斎藤信治先生の『哲学初歩』を紹介しましたが、今日は、斎藤先生のエピソードを書いてみます。 個人的なことで申し訳ありませんが、私と私の妻とは、別々の大学でしたが、二人とも斎藤先生から哲学を学びました。二人にとっ…

「唯識で読み解くダンマパダ」(6)〜一本のバラを手にして、見るとは何かを追究してみよう〜

第1詩句を読み進めていきましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は、この中の「(すべて…

「唯識で読み解くダンマパダ」(5)〜作すべからざることは行わず、作すべきことを常に行なう〜

前のブログの最後に「悪い暗い思い出に翻弄されて苦しむ人が多くいます。このような人は、どのような生き方をしたらいいのでしょうか。その生き方を『ダンマパダ』の中に探ってみようと思います。」と述べましたが、次の一詩句がその答として適切ではないか…

「唯識で読み解くダンマパダ」(4)〜すべては「因」と「縁」とか生じる〜

(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は、「(すべての現象は)意から作られる、すなわち心から作…

「唯識で読み解くダンマパダ」(3)〜自分が見るのではなく、見せられている〜

『法句経』の解説に戻りましょう。(第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、意から作られる。 もしも邪悪な意で語り、行うならば、 彼に苦しみが従うこと、あたかも車輪が車を引くものの跡に従うがごとくである。 今日は「意を主とし、」を、す…

蟻も熱中症になるのでしょうか

前のブログで、「心の中の風を静めるには、吐く息・吸う息になりきり、なりきってみましょう。」と提案しましたが、「息」ということで少し考えてみましょう。 今夏は異常な暑さで各地で熱中症の人が続出しています。そこで私が二、三人の友人に「蟻も熱中症…