「唯識で読み解くダンマパダ」(14)〜出家者になりうる資格〜

 今回から第9詩句と第10詩句とを読んでいきます。
 まず、 訳を記します。
(第9詩句)
 汚れを除いていなく、黄褐色の衣をまとおうと欲する人で、
 自制と真実とが欠けているならば、その人は黄褐色の衣をまとう資格がない。

(第10詩句)
 しかし、汚れを除き去り、戒を善く持する人で、
 自制と真実とが具わっているならば、その人は赤褐色(の衣を)まとう資格がある。

 この二つの詩句は、出家し剃髪して赤褐色の衣をまとうにふさわしくない人とふさわしい人とを述べています。
 まず「黄褐色の衣」は、現在でもタイやビルマの僧侶が身につけている衣のことです。「黄褐色の」にあたるサンスクリット「カーシャヤ」(袈裟と音写される)は、もともと釈尊の時代からサフラン色が交じった黄褐色の衣でした。 
 詩句中の「黄褐色の衣をまとう資格がない、資格がある」とは、出家して教団に入って修行者になる資格の有無を言っているのです。 そのような資格のない人のありようとして、第9詩句では
  1.汚れを除いていない、
  2.自制と真実が欠けている、
の二つがあげられています。
 このうち1.の「汚れ」の原語「カシャーヤ」は穢、濁、穢濁などと訳され、この場合は広く「心の汚れ」を意味しているといえるでしょう。
 心の汚れの原語としては煩悩と訳される「クレーシャ」がありますが、ここではその語ではなく、「カシャーヤ」という語が用いられています。それは「黄褐色の」にあたるサンスクリットである「カーシャヤ」に引かれて用いられたと考えられます。
 ところで、現代では、煩悩を持ったままで出家をし、それから修行によって煩悩をなくしていくことになるのですが、釈尊の時代では、煩悩を除いていない人は出家して教団に入って修行者になる資格がない、と説かれている点は、まことに厳しい条件であるといえます。
 条件として、さらに、2.から自制心が欠け、真実が欠けている人は出家者の衣をまとう資格がないと説かれています。つまり自制心があり、真実を具えていて初めて修行者となる資格があることになります。
 自制と訳した原語「ダマ」はふつう「調伏」と訳され、心を調え煩悩を伏することをいいますが、このように心を調伏できる人のみが修行者になりうると説く点も、まことに厳しい条件です。
 この二つの詩句から、釈尊の時代における出家者のありようや心構えが、現代と大きく相違することが知られます。 
 次の「真実が欠けている」「真実が具わっている」という中の「真実」とはなにかを考えてみましょう。
 真実と訳したサンスクリットは「サティヤ」です。これは、真、実、真実、諦、諦実、真諦、誠諦、などと漢訳される語ですが、ここで説かれる「サティヤ」はなにを意味するのでしょうか。
 中村元訳『真理のことば』(岩波文庫)ではなにも注釈されていませんが、友松圓諦著『法句経』(講談社学術文庫)では、この箇所が、「業、真理にそわずば」「業、真理にそわば」と訳されています。この訳にしたがえば、身・口・意の三業が真理にかなう、かなわない、ということでしょうか。この解釈では、人間の行為、すなわち身体的行為・言語的行為・精神的行為のすべてが真実・真理にかなっていることが教団(サンガ)の僧となりうる資格として要請されていることになります。これもまた厳しい資格ですね。 
 最後に、第10詩句にある「戒を善く持する」を検討してみます。戒の原語は「シーラ」で、尸羅と音訳、戒、禁戒、戒律、持戒などと意訳されます。
 在家も守らなければならない戒として五戒が有名ですね。五戒とは、(鄯)不殺生(生きものを殺さない)、(鄱)不偸盗(ものを盗まない)、(鄴)不妄語(嘘をいわない)、(鄽)不邪淫(よこしまなセックスをしない)、(酈)不飮酒(酒を飲まない)、の五つのいましめです。在家はこれでよいのですが、出家者は、男性は二百五十戒、女性は五百戒を守らなければなりませんでした。タイやビルマの僧団ではいまでも厳しくこの戒が課せられているようですが、日本などの大乗仏教では「三聚浄戒」*、すなわち律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒の三つのいましめになり、大きく授かる戒の内容が簡略化されました。
 戒の内容はとにかくとして、「戒を善く持する人」でなければ僧の衣を着ることが許されなかったのです。
 私も含めて日本の現代の僧侶たちは、第10詩句を心して読むべきです。
 でも戒は場所と時代に応じて内容が変わってもいいのでしょうか。
 読者の方々のご意見を聞かせてください。

 今日のブログはこれで終わります。

*三聚浄戒(さんじゅじょうかい)
律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒の三つのいましめ。律儀戒は別解脱律儀戒ともいわれ、それぞれの悪から解脱するために別々に受ける戒。教団を構成する人の種類によって苾芻戒・苾芻尼戒・正学戒・勤策男戒・勤策女戒・近事男戒・近事女戒の七種に分かれる。摂善法戒はさとりを得るために一切の善を修するいましめ。饒益有情戒は人びとを救済するいましめ。三種の中、律儀戒と摂善法戒とは自利行、饒益有情戒は利他行の実践である。自利のみを目的とする小乗の戒に対して菩薩の利他の精神にもとづいて立てられた戒。