一人一宇宙
私は、だいぶ以前の平成13年4月から1年間、NHK教育テレビ「こころの時代〜宗教・人生〜」で唯識思想を講じましたが、その時のテキストの一部を今日は紹介してみたいと思います。
講義といっても司会者の草柳隆三さんとの質疑応答の形の講義でしたが、最初の4月のタイトルが「一人一宇宙」でした。
ところでこの「一人一宇宙」という言葉は、前にも私は使っていましたが、テレビでこの言葉が流れから、この言葉に注目する人が増えたようで、私もその後の著作や講義・講演のなかで、この言葉を用いて、まずは「自分とは何か」を考えてみましょう、と訴えていまう。
講義のテキストは、その後、『やさしい唯識〜心の秘密を解く〜』(NHK出版)と題した本として出版されていますが、その中の一部を以下紹介してみましょう。
さて、いよいよ「唯識という教理の説明に入っていきますが、この思想を学ぶにあたり、まず理解すべきは「一人一宇宙」という事実です。ふつう私たちは、一つの共通の空間、広くは宇宙の中に住んでいると思っています。「百数十億光年前に起こったビックバンによって、いまこの宇宙は膨張し続けている。この広大無辺な宇宙の中に、一人の小さな存在として自分はいまここに生きている」と私たちは思っています。でも、そのような一つの共通な宇宙といったものは、人間同士が言葉で語り合うことによって「ある」と認め合った宇宙であり、いわば抽象的な存在です。それとはまったく次元を異にしたもう一つの宇宙、すなわち、具体的な宇宙があるのです。それは、その中に「自分」が閉じ込められ、自分のみが背負って生きていかなければならない宇宙です。
朝、深い眠りから眼を覚まします。そのときその人の宇宙が、いわばビックバンを起こして再び生じたのです。科学の宇宙論がいうビックバンはあったかもしれません。しかし、各人が毎朝経験する一人ひとりのビックバンのほうが確かな具体的な出来事です。この個人のビックバンによって生じた宇宙の中に住むのは自分一人であり、決して他人が入ってくることはできません。本当に一人一宇宙なのです。このことを「人人唯識」といいます。
だから三人いれば三つの世界があります。したがって、たとえば、「そこに一本の木がある」と三人が言い合うとき、三人の外に実在する一本の木があるのではなく、一人ひとりの心の中にある木の影像(観念)があるだけであり、三人が言葉でもってその影像をいわば外に投げ出し、あたかも一本の木があるが如くに認め合っているにすぎないのです。
このように一人一宇宙ですから当然ですが、各人の宇宙のありようは違っています。なにか気分がすぐれないと暗い世界になり、逆にうれしいこと、幸せなことが続けば明るい世界になります。
このように一人一宇宙であり、その宇宙から抜け出すことはできません。その宇宙は牢獄のようなもの、本当に私たちは「自分」という牢獄に閉じ込められた囚人の如き存在なのです。
そしてこの閉じ込められた世界、すなわち、自分の心の中に、自分が認識しているあらゆる存在があります。
たとえば、ここに鉛筆を見るとします。それを私は、「鉛筆は心の外にあり、見るがとおりに鉛筆はある」と思ったとします。しかし、それは明らかに思いこみです。
鉛筆と名付けられる以前のある「もの」が心の外にあるのかもしれません。でも私はその「もの」それ自体を直接じかに見ることはできません。現に私が見ている鉛筆は私の心の中の影像、観念です。
アルコールを飲んで酔っぱらってみましょう。するとその鉛筆はぼーとかすみ、ときには変形してしまいます。いや、それは酔っぱらって脳の働きが正常でなくなったからだと反論する人がいるかもしれません。でも正常な脳が作り出す世界が正しいでしょうか。もともと正常とはなにを基準としているのでしょう。
たしかに「それは正常である」ということができます。しかし、それはあくまである範囲内においてのみ、すなわち、「人間同士が共に言葉でもって語り合い認め合う世界」という範囲内だけで通用する判断です。問題は例を挙げた鉛筆ではなく、私という「自己」、あなたという「他人」、その自己と他人とを取り巻く「自然」、そしてそれらすべてを包括する「宇宙」とはいったいなにかということです。
ほんとうに、私が認める自己や他人や自然や宇宙はあるのでしょうか。もちろんあるかもしれません。しかし、それはあくまで推測であり、決定的に正しい判断ではありません。まず私が認めるべきことは、現に具体的に認識している自己・他人・自然・宇宙は私の心の中にあるということです。これは事実です。
私が沈みゆく太陽を見てあなたに「美しいね」と言い、あなたも「そうね」と答える。しかし、私が私の心の中に浮かべている私の太陽をあなたは見ることはできませんし、またその逆もいえます。なぜならすでに幾度も述べたように、私たちはいつも一人一宇宙の中に住み、自分という牢獄に幽閉されており、自分の外に抜け出て他人の世界の中に入り込むことができないからです。
では、なぜ自分の外に抜け出ることはできないのでしょうか。答えは簡単です。それは
「自分にエゴ心がある」
からです。私、自分、己、というエゴ心がある限り、私たちは自分の心の中に閉じ込められて外に抜け出ることができないのです。
すこし長々と引用してきましたが、とにかく
一人一宇宙
という事実を認識し、その事実認識に基づいた新しい「生き方」を模索してほしいと願っています。
その新しい生き方とはどうようなものか、いずれ論じてみたいと思います。
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