幼児と大人の違い

一年ぶりにブログを書きます。
 先日の西武線の電車の中で、若いお母さんが幼児を抱いて座っていました。可愛い子で、横に座った人は、幼児を見てにこりと微笑みかけました。横に座った人は三人替わったのですが、いづれの人もにこやかにほほ笑みかけ、中には幼児の手を握る人もいました。
 幼い子は本当にかわいらしい。あちこちを忙しいくきょろきょろ見ていました。時には横に立っている人の服をつかんで触ることもありました。
 そこで私は考えました。幼児はなぜあちらこちらを見ようとするのか。それは幼児にとって初めて見るものばかり、もちろん言葉ではないにしても、「いったいなにか」という気持ちで見渡しているのでしょう。大人はどうか。私たちはもう何でも見て、そして知っている。言葉でそれがなにか分かっています。だから、それを改めて見たり、何かと追究することはありません。
 だから一日のなかで「なに?なに?」と問うことはしません。
 それから幼児のように、横に立っている人の服など触ることは決してありません。なぜそうなのでしょうか。私たちのそのような行動を規制するものが、もう沢山私たちに身についているからです。
 幼児と大人の違い。
 それは幼児は、なになにと追究する気持ちがあるが、大人は「なに?」と追究する気持ちを失っています。しかし私たち大人は本当に、それが何であるかを知っているでしょうか。眼で見、言葉で考えるだけで、それが何であるか分かるでしょうか。
 それと幼児には行動を規制するものは何もないが、大人には、もう多くのことが行動を規制してしまいます。もちろん人々の間で生きる人間には、いくつかの規制が必要ですが、私たちの自由で爽快に生きることを妨げている規制も多くあります。
 動物の子供たちも本当に可愛い。嬉しく飛びはねています。たぶん生きているが不思議で楽しからでしょう。
 でも私たち大人は、長く生き続けるなかで苦しいことも多く経験してきていますから、楽しく飛び跳ねて日々を送ることができません。

 私は、最近、なにとたづね続ける子供に帰りたい、生きているが不思議で楽しく感じる毎日を過ごしたい、と考えています。

 とにかく分かったという「分別」を捨てたいと思っています。