玄奘三蔵への報恩行

昨日、神保町にある如水会館での第65回「2015年の会」に出席しました。そこでの薬師寺副住職の村上太胤師による「三蔵法師シルクロード」という法話を拝聴しました。三蔵法師すなわち、玄奘三蔵の、17年にも及ぶインド往来の艱難辛苦の求法の旅を果たした行跡を地図をも用いながら分かり易く説明してくださり、大いに勉強させていただきました。
玄奘三蔵は602年に出生、11歳で出家、622年受戒、627年1月インドに向けて求法の旅に赴く。630年マガダ国のナーランダ寺院において戒賢論師について『瑜伽師地論』などの研究生活に没頭。635年東インド南インド、西インドの巡礼に赴く。645年求法の旅を終えて長安に帰着。仏像・経典等馬22頭を要する品々を将来。2月に経典の翻訳を始める。648年5月長安弘福寺において『瑜伽師地論』百巻、「唯識三十頌」一巻の翻訳を完成。同年10月慈恩寺落成、慈恩寺の上座となる。652年慈恩寺に大雁塔を建立、持ち帰った仏像・経典等を安置。659年12月『成唯識論』十巻を完成。660年1月「大般若経」の翻訳にとりかかり、663年10月『大般若経』六百巻の翻訳を完成。664年2月5日玉華宮寺にて遷化される。63歳。
 このように玄奘三蔵の年譜をみていくと、玄奘三蔵はまさに智慧と情熱と不屈の意志とをもって仏道を歩みきられた偉大な人であることがわかります。
私のそのような偉人、玄奘三蔵への恩に報いたいという願いで『唯識 仏教辞典』を刊行しました。私の玄奘三蔵への報恩行はこれで終わりにするつもりでしたが、最近、よし、もう一つ『瑜伽師地論』の「菩薩地」を研究講義でてその成果を一冊の本にして出版しようと決意し、このたび<『瑜伽師地論』をサンスクリットで読む会>を今月の末から開催することにしました。それへのご案内のチラシを以下に記しておきます。

『瑜伽師地論』「菩薩地」をサンスクリットで読んでみませんか
 
 あの小説「西遊記」の主人公で有名な玄奘三蔵は、七世紀初めに十七年にも亘るインドへの艱難辛苦の求法の旅を敢行した原動力は、『瑜伽師地論』をサンスクリット原本で学んでみたいという思いでした。
その『瑜伽師地論』の中の「菩薩地」は大乗の菩薩道の源泉ともいえる教えが説かれています。
この度、その「菩薩地」を漢訳と対比させながらサンスクリット原文で読む会を一燈佛学院のカリキュラムの一つとして、下記の要領で開設することになりました。
本勉強会の目的は以下のごとくです。
1.大乗の菩薩道の源泉を学ぶ。
2.漢訳された仏教用語の意味をその元であるサンスクリ
ットに戻って学び、その用語の内容の理解を深める。
3.サンスクリットの初級文法を習得する。
「人間としてどう生きればよいか」「他人のために生きるにはどうすればよいか」「菩薩となって生きたい」「サンスクリットを学んでみたい」と思う方々の参加を期待します。

『瑜伽師地論』「菩薩地」をサンスクリットで読む会
一、講師 横山紘一(一燈佛学院教授、正眼短大副学長、立教大学名誉教授)
二、日時 毎月第四月曜日 午後六時〜八時半(初回は六月二十四日)
三、場所 「メディアボックス会議室D」新宿駅西口駅前永和ビル地下三階
四、会費 年間三万円
五、問い合わせ
一 燈 佛 学 院 (狭山市笹井南八木3307番地、一燈仏子寺内)
Tel・Fax :042−975−4195
Mail : ichinyo@earth.ocn.ne.jp

 このような会を始めて原動力は、『唯識仏教辞典』出版のときもそうでしたが、私の玄奘三蔵への報恩行、すなわち、恩に報いたいという思いでした。
 ところで報恩とはサンスクリットで「クリタ・ジュニャ」といい、なされたこと(クリタ)と知る(ジュニャ)ということです。これは知恩とも訳されますが、ある人によって為されたことを知り、感謝してその為されたことに恩返しをすることを報恩というのです。私は玄奘三蔵の為されたことを思うと、玄奘三蔵への報恩の行はいつまでも続けていきたいという衝動にかられます。
「菩薩地」は漢訳で35巻から49巻にまで亘る大部な量ですが、すべて講義しおわり、一冊の本となる日まで毎日毎日一歩づつ歩んでいく覚悟です。

漢梵蔵対照 瑜伽師地論総索引

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瑜伽師地論に基づく 梵蔵漢対照・蔵梵漢対照 仏教語辞典

瑜伽師地論に基づく 梵蔵漢対照・蔵梵漢対照 仏教語辞典

唯識 仏教辞典

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