人を気遣う思い

私は今、50歳以上を対象とした立教セカンドステージ大学で教鞭をとっていますが、先日教え子の一人から、以下のようなメールをもらいました。


4月17日
テレビでアウンサウン・スーチー氏が質問に答えて言った。
「自分を気遣ってくれる人がいることを信じて下さい」。
私は、それは本当だと思った。
2年半前私の夫が倒れ死地を彷徨っていた時、その後も私は友人たちの気遣いでやって来れた。
ふと、あの時のことが思い出された。医者に夫に失語が残ることを聞かされ、その説明は、大学で学んだ「唯識仏教」で学んだことと全く同じだった。一人一宇宙。
一人一宇宙、この世にあるもの全ては「影像」にすぎない。隣にいる人と全く同じものは見ることができない。全てのものは自分と言うフィルターを通してしか見ることができない。私は、これは理解できた。
しかし人間は他人と繋がっていなければ生きていけない。どう繋がればいい?私には答えが出せないでいた。
今日スーチー氏の言葉を聞き、それが素直に私の中に入って来て、自然とその答えに繋がった。人間は孤独。一人一宇宙で生きているが、他人を気遣うことで繋がれる。
先生は、その自分の源である深層にある「阿頼耶識」を磨けと仰ったと思う。
夫は言葉を失ったけれど、私を、私は夫を気遣うことで繋がれているんだと思う。
孤独を恐れる気持を克服するのは「人を気遣う思い」と今は感じる。

なんと感動的なメールではないでしょうか。確かに私たちは「一人一宇宙」ですが、人間の二大尊厳性である「智慧」と「慈悲」のうちで、慈悲の心によってお互いに繫がることができるのですね。
智慧を磨こう、慈悲を養成しようと誓願して、人のために生きる人を「菩薩」といいます。
私は、もう長く、毎朝目覚めたときにベットの中で、「よし、今日も菩薩として生きよう、他が先で自は後、他が先で自は後」と念じて、よし今日も精進するぞ、と怠惰な自分の心を励ますことにしています。
その言葉は深層の阿頼耶識に潜む煩悩を少しでも無くすことができるのだと信じつつ----。