ロマンをもって死んでいこう


今回は、玄奘三蔵が死に臨んで残した次のような誓願の紹介からはじめてみます。

玄奘、此の毒身は深く厭患すべし。所作の事畢る、宜しく久住すべきなし。願はくは修する所の福慧を以て有情に迴施し、諸の有情を共に同じく覩史多天弥勒の内眷族中に生れて、慈尊に奉事せむことを。仏下生の時には、亦願はくば隨ひ下つて広く佛事を作し、乃ち無上菩提に至らむことを。」(『大唐大慈恩寺三蔵法師伝巻十』)

この誓願文の主旨を要約すると、次のようになります。

「私玄奘は今生において為すべきことは為し終えたので、これ以上この世に留まるべきではない。命が絶えたあと、覩史多天に登って弥勒菩薩のもとで修行し、弥勒がこの世の下って生まれる時、私も共に生まれて、仏道修行をして、最高の悟りに至ろう」

玄奘三蔵はまさに一生で為すべきことを為し終えた人物です。
私の11月13日のブログで紹介しましたように、玄奘は17年にも及ぶ艱難辛苦のインドへの往来の旅を成し遂げて、唯識思想を中心とした新しい仏教の息吹を中国にもたらしました。また帰国後、亡くなるまでの19年間の歳月を、持って帰った多くのサンスクリット原本の翻訳に費やしたのです。
彼はまさに為すべきことを為し終えたのです。

「この一生で為すべきことを為し終える」(このことを「所作成弁」といいます)、本当にこのようにいえる玄奘は、なんと素晴らしい生涯を送った人物であったことか。

でも玄奘には、まだまだ「為すべきこと」「やりとげなくてはないないこと」があったのです。
それは、もう一度生まれ変わって菩薩として修行し、最終的には仏に成る(無上菩提に至る)ことでした。

彼には、求法の旅と翻訳の事業に一生を費やし、自らの悟りを求める修行に専念することがなかった、という反省がありました。
だからこの世で没した後、覩史多天、すなわち兜率天に生まれ、そこに住する弥勒菩薩に仕えて修行し、弥勒がこの世に下る時、共々下って、さらに修行をつづけたい、と願ったのす。

私はこの玄奘三蔵誓願を知った時、死に対する考えが変わり、大きな勇気と情熱が心の底から湧いてきました。
それは「死ぬのではない、死ねないのだ」という声となって心のなかに響きわたりました。
それはまた私の中に、「ロマンをもって死んでいこう」という決意を起こしました。

よし、私もこの世で死を迎えたら、兜率天に上り、弥勒に仕えて修行し、そして弥勒と共に、再度この娑婆世界に下生して「広く仏事をなそう」と決意しました。

「広く仏事をなす」とは菩薩として生きることです。
その菩薩としての生き方は、あの宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩の文句にあるように、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ」、すなわち、万事において自分を勘定に入れずに、自己を放捨して、病気の子供のた
めに、老いた母のために、臨死の人のために、紛争を止めさせるために、東西南北に奔走する生き方です。他者を救済する生き方です。

多くの困難に屈することなくインドへの旅を成し遂げた玄奘三蔵は、まさに他者救済の菩薩行の連続であったといっても過言ではありません。

それなのに、玄奘三蔵は、さらに再び生まれ変わって他者救済の道を歩みつづけようと誓願しました。
なんと素晴らしい人ではないでしょうか。私たちに勇気と希望とを与えてくれる偉人ではないでしょうか。

このような「誓願」を「ロマン」というのは問題があるかもしれませんが、とにかく、
   「ロマンをもって死んでいこう」
と、声高に叫んでみましょう。
すると、その声は心の深層に響いて、死ぬことを生きることの終末であり、悲しいことである、という一般常識から解放されて、
「死ぬのではない、菩薩として生きつづけるぞ」
という勇気が不思議と湧いてきます。
そしてその勇気は、いま・ここに生ききるエネルギーとなって、充実した日々をもたらす大きな力となります。

もう一度叫びたい。
 「ロマンをもって死んでいこう」と。