スティーブ・ジョブズと玄奘三蔵

今日は、スティーブ・ジョブズ玄奘三蔵との二人についてお話をします。前者は昨年の十月に亡くなりましたが現代の人、後者は七世紀の人、この二人が、なぜ今日の表題で「と」と結ばれているのでしょうか。
結論から言えば、前回のブログで取り上げた新渡戸稲造と同じく、二人は自己の信念に生きた人だったのです。
では二人はどのような信念をもち、どのように生ききったかを探ってみましょう。

(Ⅰ)スティーブ・ジョブズについて、
 
先月の10月6日、本郷の東大仏教青年会で、このたび私たちが立ち上げました「さわやかに生ききる会」主催の「スティーブ・ジョブズ一周忌追悼ライブ」を開きました。内容は、漢語と梵語とによる法要から始まって、私のスティーブ・ジョブズについての講義、参加者と山口博永師と私との話し合い、そして最後に山口博永師による坐禅指導と続きましたが、多くの方からよかったというお声をいただき、これからも毎回、山口博永師に登場していただき、種々の内容のライブを開いていこうと計画しています。興味のあるからはぜひご参加ください。
 
山口博永師関連のホームページ:「菩薩道交会」 http://www.bosatsu-kai.org/
ライブ、「さわやかに生ききる会」の問い合わせ先:hirokishida@gmail.com

さて、先日のライブでの私のスティーブ・ジョブズについての講演の資料を紹介してみます。

スティーブ・ジョブズの生き方に学ぶ
於 スティーブ・ジョブズ一周忌追悼ライブ
2012年10月6日
       
(序説)
スティーブ・ジョブズ(以下ジョブズと呼ぶ)は2011年10月5日に56歳で膵臓ガンで亡くなったが、それ以後、アメリカにおいて彼に関する多くの著作が出版され、そのいくつかは日本語に翻訳されている。
彼の詳しい出生から死去までの履歴や仕事上における業績については、それらの本を参考にしていただくことにして、本講演は、次のような問題を考えるきっかけを与えることを目的とする。

1.禅の修行がジョブズに与えた影響
ジョブズは若いときから禅の修行に参じたことは有名であるが、ジョブズが禅の修行によって何を獲得したかを考察する。
2.そして、獲得したものが、彼の「生き方」と、そして次々と生みだされた彼の画期的な「製品作り」とにどのような影響を与えたかを考察する。
3.次に、ジョブズの「生き方」と「製品作り」から私たちは何を学ぶことができるかを考察する。

スティーブ・ジョブズの作り出した製品の特徴
ジョブズは、一貫して、個人がパワーを発揮する機器を開発した。
パソコンの起源については異説があるが、ディスプレイがあり、キーボードを接続した現代的なパソコンは、ジョブズが作ったと言われている。
その後、タブレット端末iPadiPhoneも開発し、個人が表現し、伝える道具を飛躍的に発展させた。近代という出来上がった体制に対するカウンターカルチャーの流れの中にジョブズがいる。
②技術(機器)とリベラルアーツ(文化)とを結び付けた。
技術と芸術(technology とliberal arts:technologyとart)
自然科学と人文科学
工学と詩心(poetryとengineering)
技術と芸術・創造性
音楽を作る・聞く、絵を書く・デザインをする、多数の書体を揃えるなど広い意味での芸術と機器を当初から結び付けた。
③洗練されたシンプルで美しいデザインの機器を開発した
ジョブズの開発した機器は、洒落ていてインテリアのようである。これが愛された。
④自然に近いものを導入しているので独特の魅力がある。
近代(分けていく文化)と 古代からの智慧(統合する、すべてが関係しあっている、自然そのものに近い文化)とを融合させて、製品を開発したり、ソフトとハードを融合させたので、従来の近代のみの製品・縦割り機能と比べ、独特の魅力がある。
近代をもっとうまく使いこなしたい、近代の行き詰まりを少し超えたい、(実はそれは自然に近いものを導入することと)潜在的に思っている少しお金を持っている人々に受けた。
巨大企業のCEOとなってもジョブズはカジュアルな服(ジーンズにTシャツ)で登場したことも自然に近いし、開発者として製品をプレゼンテーッションできたことも、よく目にするCEOたちと異なる、次の時代のCEOのイメージを与えた。
 
(1)信念と智慧をもってシンプルに生きた人

1.自分とは何かを追究した人・ジョブズは、19歳のとき、導師(ニーム・カロリ・ババ)を求めてインドを放浪した。
・導師はすでに亡くなっていて弟子たちもちりじりになっていた。
・叡智を授けてくれる導師を見つけようという気持ちがなくなり、苦行、欠乏、質素を通じて悟りに至ろうと考えるようになる。
・7ヶ月後にインドから帰国。
・インドで師を探し求めることができなかったが、帰国後も、時間をかけて自分探しをし、悟り(enligthtenment)を求めて、毎朝、毎晩、坐禅をおこない、禅を勉強した。
このようにジョブズが東洋思想やヒンズー教、禅などを追い求めたのは、19歳という多感な一時期だけではなかった。その後もずっと東洋の宗教を支える教え、すなわち経験的な般若の智慧( wisdom)、あるいは、心の集中(concentration of the mind)を通して直観的に経験される知的理解(cognitive understanding)を強調する教えを求め続けたのである。
   
心の集中(禅の修行)から直観が生じ、そして智慧を得る
    

人生における二大問題
①「自分とは何か」
②「自分はいかに生きていくべきか」
ジョブズは、この人生における二大問題を追究し続けた人である。
インドへの旅についての次の言の中には、この二大問いかけが端的に語られている。
  
僕にとっては真剣な探求の旅だった。僕は悟り(enligthtenment)という考え方に心酔し、自分とはだれか(who I am)、いかに生きるべきか(how I fit into Things.)を知りたいと思ったのだ。
  
ジョブズは若いときから、この人生の二つの根本的問いかけを抱いていたことが、彼のその後の人生を情熱と勇気と叡智とをもって生ききることができた大きな動因となったのである。

2.信念に生きた人
ジョブズは、自分の信念に生きた人である。
彼は、「世界を変えよう」という信念のもと、「画期的な製品」を次々を作りだした。
すでに、若いときにインドを旅したあとで、何を学んだかを振り返って、次のように語っている。

世界への貢献という意味では、ニーム・カイロリー導師とカール・マルクスの二人を足したよりも、トーマス・エジソンのほうがはるかに大きかったのかもしれないと思うようになった。
 
ジョブズは、インド放浪を通して、エジソンのように「画期的な製品」を生み出す人生を送ろうという信念をすでに若い時に抱いたのである。
そして、それ以後、生涯にわったってその信念を持つ続け、エジソンにも匹敵する「世界を変えた男」となったのである。
ジョブズは、会社経営にあたっても、つねに、信念、ビジョン、に生きることを強調し、画期的な製品(groundbreaking products)を作ろうという情熱(passion)と、不可能と見えることでもやり遂げるという信念(belief)をアップル社の社員に植えつけた。たとえば、社員には、

我々は、自分たちが描いたビジョンに賭けているのだ。

と訓戒し、また、会社を起こしたいと相談にくる人へは、

まず必要なのは、世界に自分のアイデアを広めたいと言う信念なのだ。それを実現するために会社を立ち上げるのだ。
  
と勧告している。

3.初心を大切にした人

ジョブズの言葉に次のようなものがある。
   
仏教には初心(Beginner’s mind)という言葉があるが、初心をもっているのは、素晴らしいことだ。
   
ジョブズは初心という言葉を、彼が愛読したといわれる鈴木俊隆師の(『Zen Mind,Beginner’Mind』禅マインドビギナーズ・マインド)から学んだのであろう。鈴木師はこの本のなかで次のように述べている。
  
初心者の心、「初心」には、「私はなにかを得た」というような思考がありません。どのような自分中心の思考も、無限に広い心の中に限界をつくります。なにかを達成したいとか、達成したというような心がないとき、つまり、自分中心の思考がないとき、私たちは、本当の初心者なのです。

鈴木師は、初心とは初心者の心であり、それは「自分中心の思考がない心」である、という。
「自分中心の思考がない」初心者の心で万事にあたれというのが、上記の叙述で鈴木師が言おうとしたことである。
 
自分中心の思考のない心で万事にあたれ

したがって、ジョブズが「初心をもっているのは、素晴らしいことだ。」という言葉の背景には、「自分中心の思考がない」ことの素晴らしさをジョブズが認めていたのであろう。
さらに、鈴木師は
  
初心の心には多くの可能性があるが、しかし権威きどりの心には可能性がほとんどなくなります。

とも、述べているが、ジョブズは、このような意味でも初心の素晴らしさを認めたのであろう。
初心の心には多くの可能性がある
いずれにしても、ジョブズは禅の教えと修行を通して、「自分中心の思考のない心」の大切さと「初心の心には多くの可能性がある」ことを自覚し、その自覚が、会社経営の目的は金のためではなく、新しい革新的な製品を作ることである、という信念を強く持つに至ったのである。
「自分中心の思考がない心」とは、仏教の用語でいえば、
「無我の心」
である。ジョブズは、すでに述べたように、若い時に、「自分とは何か」の答えを求めてインドを放浪し、それ以後も常にこの疑問を解決すべく禅の修行に励んだのである。
そして「無我」を悟り、無我の心で人生を歩んだといってよいであろう。
ここでジョブズが「初心者」(beginner)という言葉を用いたスピーチ((スタンフォード大学での卒業式スピーチ)を引用してみよう。
 
その時は分かりませんでしたが、後からみると、アップルを追い出されたことは、人生で最良のできごとでした。成功者であることの重みが、もう一度初心者であることの身軽さに代わったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、人生で最も創造的な時期にもう一度入ることができました。

(初心に返る重要性)
これは、自分が創ったアップル社から30歳のとき追い出されたことに関する言明である。
このなかの「成功者であることの重みが、もう一度初心者であることの身軽さに代わったのです。」は、前記した鈴木師の「初心の心には多くの可能性があるが、しかし権威きどりの心には可能性がほとんどなくなります。」を言い換えたものである。
ジョブズは、アップル社を追放されたお陰で、初心者の初心に立ち返り、それによって人生でもっとも創造的な時期に入ることができたのあると告白していのである。
上記の一文は、初心者の初心こそが、人生を創造的に生きていく原動力であることを私たちに訴えている名言である。
また、人生において何かにつまずき、挫折した人に、立ち直る勇気を与える言葉でもある。

4.直観に生きた人
僕にとっては、インドへ行ったときのよりも米国に戻ったときの方が文化的にショックが大きかった。インドの田舎にいる人びとは僕らのように知性(intellect)で生きているのではなく、直観(intuition)で生きている。そして彼らの直観はダントツで世界一というほどに発達している。直観はとってもパワフルなんだ。
ぼくは知力よりもパワフルだと思う。この認識は、僕の仕事に大きな影響を与えてきた。
西洋の合理的思考(rational thought)は人間が生まれながらに持っている特性ではない。習得されるものであり、西洋文明の大きな成果である。インドの村では合理的思考は学ばないのだ。彼らは別のものを学ぶ。その別 のものとは、ある面では合理的思考と同じくらい価値があるが、また他の面ではそうではない。それが、直観と体験にもとづく智慧の力(the power of intuition and experiential wisdom)だ。

さらに、ジョブズの言を検討してみよう。
  
じっと坐って観察する(observe)と、自分の心がいかに落ちつきがないことがよくわかる。心を静めようとすると、もっと悪くなる。しかし、じっくり時間をかければ、心は静まってくる。そしてそうなると、とらえにくい ものがより聞けるよう になる。このとき直観(intuition)が花開き、物事がよりはっきりと見えるようになり、より現在に住しているようになる(be in the present more)。心がゆったりとすると、いまこの瞬間に広大な広がりを見るようになる。それまで見ることができたよりはるかに多くのものを見るようになる。これが修行である。そのために修行をしなければならないのだ。あのときから、私の人生において禅から深い影響を受け るようになった。日本に行って、永平寺に入ろうと考えてこともあった。

(直観が花開く)
ジョブズは話の中にはたびたびintuition(直観)という語が出てくる。
ところで、すでに述べたように、ジョブズは、西洋の「知性」と対比させて、この「直観」を持っていることがインド人の特徴であると指摘している。
ここで、ジョブズは、直観がどのような働きを持っていると考えたかを考察してみよう。まず彼の言明の中で直観を用いたものを部分をまとめてみると次のようになる。

このとき直観(intuition)が花開き、物事がよりはっきりと見えるようになる。
  
インドの田舎にいる人びとは僕らのように知性(intellect)で生きているのではなく、直観(intuition)で生きている。そして彼らの直観はダントツで世界一というほどに発達している。直観はとってもパワフルなんだ。ぼくは知力よりもパワフルだと思う。この認識は、僕の仕事に大きな影響を与えてきた。

我々のデザインで最重要なことは、我々が物事を直観的に明白にしなければならない(make things intuitively obvious)ということである。(仕事の場)
 
坐禅と直観との関係)
ここで、坐禅と直観との関係を考えてみよう。
まず、前述したジョブズの言にもう一度耳を傾けてみよう。

「じっと坐って観察する(observe)と、自分の心がいかに落ちつきがないことがよくわかる。心を静めようとすると、もっと悪くなる。しかし、じっくり時間をかければ、心は静まってくる。そしてそうなると、とらえに  くいものがより聞けるようになる。このとき直観(intuition)が花開き、物事がよりはっきりと見えるようになる。」
さらに鈴木俊隆師の次の言に注目してみよう。
    
坐禅するときは、いつも呼吸に従います。息の動きについていけるように、心が純粋で落ち着いていれば、そこに私も、世界も、心も、身体も、ありません。時間とか空間とかいう観念もなくなります。あなたの助  けとなる努力とは、自分の呼吸を数えること、あるいは、吸うこと、吐くことに集中することです。禅の真の目的は、こうすることによって、物事をありのままに見るということです。」
     
調身   調息   調心
 
(直観に従って生きよ、内なる声を聞け)
このように、ジョブズは直観を働かせることを非常に重要視しているが、ここでもう一つ、スタンフォード大学での卒業式スピーチで直観という語を織り込んで若者たちに語りかけた次のスピーチに注目してみよう。
        
あなたたちの時間は限られているのです、他人の人生を生きて、時間を無駄にしないでください。他人の考えた結果に振り回されて、ドグマの罠に陥らないでください。
他人の意見の雑音に、自分の内なる声(inner voice)の邪魔をさせないことです。 そして、最も大事なのは、自分の心と直観に従う勇気を持つことです。 
あなたの心と直観は既にあなたが真に何になりたいかを、とにかく、とっくに知っています。 それ以外のことは二の次です。

講演では、以下、「技術とリベラルアーツ(文化)とを結び付けた人」「美とシンプルとを追求した人」「世間への恩返し実践した人」などの題でお話をしまいたが、本ブログでは省略いたします。
とにかく、スチィーブ・ジョブスは、「いま・ここに生かされている」という事実をしる智慧にもとづて、
  
「世間に恩返しするために、画期的な製品を作ろう」

という信念を抱き続けて、一生を生ききった人でした。
私たちも、彼に負けずに、一生を生ききることができる強い信念を持ちたいものです。

(Ⅱ)玄奘三蔵について


玄奘三蔵(602〜664)は、幼少の頃から聡明で、13歳の時に洛陽で僧になる国家試験に合格して出家しました。その後、中国の各地をまわって名高い法師を訪ねて教えを受けました。
しかし、玄奘は、多くの師につき、教理を深く研究してみると、師の説にも経論にも、微妙な食い違いがあることに気づいたのです。そこで、玄奘の心のなかに、徐々に一つの思いが膨れあがってきました。その思いとは、疑問を解くために、
     「インドに行ってサンスクリット原典で仏教を学びたい」
という思いだったのです。
その思い、信念に突き動かされて、彼は、ついに貞観3年(629年)、国禁を犯して、長安の西の門をくぐってインド(西天)へと旅立ちました。
その後の彼の旅、すなわち西域の各地を尋ねる、ゴビ砂漠を進む、ヒンドゥークシュ山脈を越える、などの艱難辛苦の旅のありよう、さらにはたどり着いたインドのナーランダ寺院(大乗仏教の教理だけではなく、小乗の十八部派についての講義も行われ、さらにはヴェーダについての研究、論理学(因明)・医学・薬学・数学どの授業も開かれ、いわば当時の総合大学)で玄奘は待ち受けていた戒賢について『瑜伽師地論』はじめとする<唯識>の経論を学ぶにおよび、長年抱きつづけてきた疑問が氷解したこと、さらには 再び艱難辛苦の中国への帰国の旅、などの彼の行状は、ここでは割愛いたします。
とにかく玄奘三蔵の求法の旅は、通過した国が128ヶ国、実に3万キロに及び、かかった年月は17年にも及びました。
まさに玄奘三蔵は、

真理を求めて続けた求道の人、
いかなる苦難をも屈しない不屈の人、
あらゆる国々で尊敬された偉大な人、
中国仏教に新風を吹き込んだ情熱の人、
日本仏教の成立に貢献した日本仏教にとっての恩人

であるといえるでしょう。
玄奘によって中国にもたらされた唯識思想は奈良時代に日本に伝えられ、仏教の根本学として現代にまで脈々と学ばれつづけてきました。もしもあの玄奘の命をかけた求法の旅と、そして帰国後の19年間にもわたる経論の翻訳事業がなかったら、今日の日本仏教はありえなかったといっても過言ではありません。

玄奘三蔵もこのように、
「インドに行って原典で仏教を学びたい」
という強い信念によって想像を絶する艱難辛苦の求法の旅を敢行することができたのです。
彼の旅の途中の精神は「不東の精神」といわれています。中国を出発してから西のインドに到るまでは、決して東に戻らない、つまり中国に引き返さない、という決意を言ったものです。

私たちも、それを成就するまでは決して退屈しない(屈して退かない)という目的を持ちたいものです。