心が脳に影響を与える

現代の脳科学によれば、心は脳から生じ、脳の作用であると考えれています。
今日は以下、唯識思想(以下<唯識>と表記)に基づいて脳と心との関係を考察して、心が脳から生じるとして、生じた心が脳を変えていく積極的な力を持っているということを訴えたい。
まず、<唯識>は、心には表層心として眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六つの識と、深層心として末那識・阿頼耶識という二つの識とがあり、表層心と深層心とが相互に因となり果となると説きます。
特に最後の阿頼耶識はすべての存在(心・身体・事物・自然)を生じる根本心であるという、独特の、変わった、いわば“唯心論”的な教理を主張します。
 ここで、まず「阿頼耶識」と「身体」との関係に注目してみます。まず、専門用語を出して、読む方が戸惑われるかもわかりませんが、あとで易しく説明いますので、我慢してください。
 <唯識>に「安危同一」という考えがあります。阿頼耶識と身体とのどちらが「安らいだ状態」であれば他方が同じ状態となり、逆に阿頼耶識と身体とのどちらかが「危ない状態」になれば他方のそのような状態になるという、いわ相互因果関係にあるという主張です。
 この考えから学ぶことができるのは、
1.身体の具合(健康・爽快、不健康・病気など)は深層心に原因があり、深層心のありよう(濁っている、清らかである、など)は表層の身体のありように左右される。
2.真の健康とは、深層心の健康にまで深めて考えなければならない。
3.表層の身体のありように常に留意しなければならない。姿勢を正す、運動をする、過食をさける、等々。
 
以上は身体と阿頼耶識との関係でしたが、次に身体の一部である「脳」と「阿頼耶識」との関係、広くいえば、「脳」と「心」との関係に話を進めてみましよう。

ここで、もう読まれた方がおられるかしれませんが、私が最近読んだ『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著、竹内薫訳、新潮社刊)から、著者のいくつかの体験話を紹介してみます。著者は脳科学者として活躍していましたが、37歳で脳卒中に襲われ、それから8年間にわたるリハビリの体験を綴ったものが本書です。
 私も本書から多くのことを学びましたが、そのいくつかを抜粋してみます。

1.出血中の血液が左脳の正常な機能を妨げたので、知覚は分類されず、細かいことにこだわらなくなりました。(中略)意識の中心はシータ村にいるかのようでした。仏教徒なら、涅槃(ニルバーナ)の境地に入ったと言うのでしょう。
2.左の脳の「やる」意識から右の脳の「いる」意識へと変わっていったのです。
3.自分自身をあなたとは違う存在として見る左脳の意識を失いましたが、右脳の意識と、からだを作り上げている細胞の意識は保っていたのです。
4.左脳が損傷したために言語中枢の自我の部分がなくなり、何のこだわりもなく他人の助けを歓迎できたからです。
5.右脳の個性の最も基本的な特色は、深い内なる安らぎと愛のこもった共感だからです。うちなる安らぎと共感の回路を動かせば動かすほど、より多くの平和と共感が世界に発信され、結果的により多くこの地球上に広がるでしょう。
6.(回復のしかたについて)最も重要なことは、わたしが挑戦する気になることでした。挑戦することがすべて。挑戦すというのは、脳にこんなふうに囁くこと。(ねえ、ねえ、この脳のなかのつながりは大切よね。やりとげたいの)
挑戦して、挑戦して、また挑戦しなくてはなりませんが、かすかな手がかりを得るまでは、1000回やっても何の結果も得られないかもしれませんが、それでも挑戦しなかったら、なにも始まらないんです。
7.一日に何百万回も「かいふくするのよ」と意を新たにしなければなりませんでした。
8.感謝する態度は、肉体面と感情面の治療に大きな効果をもたらします。
9.わたしはたしかに、右脳マインドが生命を包みこむ際の態度、柔軟さ、熱意が大好きですが、左脳マインドも実は驚きに満ちていることを知っています。なにしろわたしは、10年に近い歳月をかけて、左脳の性格を回復させようと努力したのですから。左脳の仕事は、右脳がもっている全エネルギーを受け取り、右脳が持っている現在の全情報を受け取り、右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い、それを実行可能な形にすること。

ジル・ボルト・テイラー博士の脳卒中という病から回復した体験にもとづく上記の言明は、心のありようが、いかに脳に影響をあたえるか、を述べたものであり、<唯識>の前述した阿頼耶識が身体と相互因果関係にあるという「安危同一」という教理からも説明できます。
 その理由は、他日のブログに譲ることにして、今日はこれで終了します。